ブログ◆親はサンタとどう付き合うか

あと10日足らずでクリスマスですね。クリスマスといえば、付き合い方に悩むのがサンタクロースです。

今年は何時に来ることにしようとか、子どもが起きてるときなら扮装しないとなとか、おい最近ちょっと疑ってるぞとか、ほんともう大変なんよ。ですよねー。

そんなとき思い出すのが、サンタクロースにまつわる2つのお話。

 

まずは、児童文学界の重鎮・松岡享子(きょうこ)さんの、その著作『サンタクロースの部屋-子どもと本をめぐって-』(こぐま社)の前文からの引用です。

サンタクロースが大切っぷりを、これほど美しく端的な表現で著したものを私は寡聞にして知りません。

 

もう数年前のことになるが、アメリカのある児童文学評論誌に、次のような一文が掲載されていた。「子どもたちは、遅かれ早かれ、サンタクロースが本当はだれかを知る。知ってしまえば、そのこと自体は他愛のないこととして片付けられてしまうだろう。しかし、幼い日に、心からサンタクロースの存在を信じることは、その人の中に、信じるという能力を養う。わたしたちは、サンタクロースその人の重要さのためではなく、サンタクロースが子どもの心に働きかけて生みだすこの能力のゆえに、サンタクロースをもっと大事にしなければいけない」というのが、その大要であった。

 

おそらく日本にまだサンタクロースが来ていなかった昔だって、先人達は存在の不確かなものを信じ大切にしてきたはずです。
妖怪や妖精、神様なんかです。
彼らは一度も公の場所に出てきたり、語ったり、握手を求めてきたりしたことはありません。たぶん。
にもかかわらず、先人達はそういう存在の不確かなもの、目に見えないものを「在る」として畏れてきました。

だから私達も先人に習いましょう。
サンタクロースの実在性について、証拠を用意する必要はないのです。

「ホントだ、ウチ煙突ないね。でもなんかふしぎな力で入れるんじゃない?」
「本当にいると思うよー、だってママも毎年朝起きたらプレゼントあったもの」
「昔、パパの友達は見たって言ってたよ、パパは見たことないけど」
「ほら、早く寝ないと来てくれないよ」

曖昧でいいんです。いや、曖昧こそいいのかもしれない。
お天道様が見ているとか、仏壇の前で祖父母に語りかけるとか、あの感じ。

信じてないけど、信じてる。いないど、いる。

 

目に見えないから存在しないと断ずるなら、人の心はどうなるの。自分の今のこの気持ちは?
かつてサンタクロースの住んだ心の小部屋は、人を信じ、また人を思いやる心を芽吹かせるのですね。

 

次に、マンガ家の島本和彦氏が、昔北海道のラジオのオープニングで話した小気味いいトークからひとつ。

年も押し迫り、気持ちはもうクリスマスだね!
ジーザスクライストですよ! 聖(セント)ニコラスです!
「サンタクロースをいつまで信じてた?」なんて…
ふざけるな!! いつから居なくなったんだよ!?

いいか? サンタの心を受け継いで、これからは君たちがサンタになるんだよ!

『サンタなんか実際いないよ』なんてことを、まるで自分は知識人? 常識人である風に言うヤツには正面から向かって目を見て言ってやれ!

俺がサンタだと!私がサンタなんだと!

みんなサンタになろうよ。でかい…でかいサンタになれ!
ドリームラッシュ! あなたの夢は何ですか?

「夢が叶うというね?」なーんて、「夢が叶うといいね?」なんて夢を追う立場からね? 子どもたちの夢を叶えさせてあげる立場にドンと座るんだよ!

大人を逃げるな!

いろんなものが混ざってしまったけれども(以下略)

 

痛快。霧が晴れたというか、腹が据わるというか。

サンタクロースがいないと気づいたら終わり、じゃないのです。
それは、じつは始まりでした。

子どものために「サンタクロースの部屋」をつくることができるのは、子どものそばに立つ大人なんです。
自らが子どものときに受け取ったバトンを次世代へ繋いでゆく…大人としての圧倒的責任感、当事者意識がそこには、ある!!

襟を正す思いです。

 

 

サンタクロースについて聞かれたら、遠い目をしてにっこりと「いると思うよ」と答えればいい。
でもその根拠は曖昧でいいのです。
すっとぼけて、でもいつかサンタの非実在性に子どもが気づいたなら、今度は別の小さな子(弟や妹)のための協力者になってもらえばいい。

サンタクロースは実在します。
ただしその実在の仕方は、子どもが思う在り方とは違うのです。

でもね、大人になれば、あなたもわかる、そのうちに云々。

 

今年もたくさんのサンタさんが皆様のもとを訪れますように。

 

かんだむつみ

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