ブログ▨記憶に残らぬ20年目の歯車のプライド

「支えてもらっているときは、そのありがたみに気づかない」。
そんな言葉を聞いたことがあるだろうか。いや、むしろ痛感したことがある人も多いはずだ。
親のありがたみがわかるのは親元を離れてから。健康の大切さに気づくのは病気になったとき。
人間という生き物は、目の前のことに夢中になっていると、背景で支えてくれる存在のことまで、あまり考えが及ばないものらしい。

私もそうだった。子育てに奮闘していたときは、「助けてもらっている」という実感をもつ余裕がなかった。
今はわかる。その裏には、10倍、いや100倍ものサポートが隠れていた。

子育て支援者の多くは、支援しているという実感をもたれることのない「名もなき存在」かもしれない。誰かの記憶に特定の個人として刻まれることは少ないだろう。
元気のもりにやってくる親子にとって、私たちは「いるのが当たり前」の存在だ。名前はない。それでいいのだ。

世の中には、こういう「見えない支え」が無数にある。
子どもが公園で遊ぶとき、遊具はちゃんと点検され、安全が確保されている。スーパーに行けば、棚には整然と商品が並び、足りなくなれば補充されている。電車は時間どおりに動き、道路の信号は滞りなく切り替わる。それらはすべて「名もなき存在」=「世の中の歯車」たちのおかげだ。

たとえば時計を思い出してほしい。
時計を構成するひとつひとつの歯車は小さくて、取るに足らない存在かもしれない。しかし、ひとつでも外れれば、時計はまともに動かなくなる。世の中だって同じだ。

私たち子育て支援者も、その「歯車」のひとつだ。私は、歯車でいられるこの仕事を誇りに思う。

別に、最初から志してこの仕事に就いたわけではない。気づいたらこの仕事をしていた。でも、こうして日々、多くの親子と接するうちに思う。「この仕事は、させてもらっている仕事だな」と。

私は「~させていただいている」という言い回しがあまり好きではない。単に謙虚な気持ちが足りないのだと思う。反省している。でも、元気のもりの仕事に関しては、まさに「させてもらっている」としか言いようがない。子どもたちが楽しそうに遊ぶ姿、かたわらで笑みを湛える親の顔。それを見て、志してないのに出くわしたこの仕事のことを、心底「ありがたいなあ」と思う。

世界は、私たちのような小さな歯車でできている。誰かの記憶に残らなくても、確かに世界を動かしている。
ちっぽけな歯車がひとつなくなるだけで、未来へと続く流れが途絶えることだってあるのだ。

だから、私たちは今日も「名もなき歯車」として、しっかり回ることにする。
令和7年度、元気のもりは会館20周年を迎えます。どうぞよろしくお願いいたします。

 

かんだむつみ

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