ブログ◆東日本大震災から10年~若い方にお伝えしたいこと

新型コロナウイルスの感染拡大にともない一時停止していますが、元気のもりでは学生の実習を受け入れていました。10年前も受け入れていました。3.11のときも。

東日本大震災後に元気のもりに来た学生たちは、「東北への訪問経験の有無」をとても重要なことだと感じていました。
数ヶ月に渡る連日の震災報道は「行ったことがない」学生にとって辛いもので、彼らは焦りと劣等感を抱いていました。

当時は各地で義援金が募られていましたが、十分な額の募金をできない学生も多かったようです。彼らは自己嫌悪に陥っていました。支援ができないことで苦しんでいたのです。そんな切ないことがあるか。

いま、震災後10年が経とうとしています。
そこで、当館の昔のブログ(今はない)などに記したことを改めて掲載しておこうと思います。(文章があまりにアレでしたのでかなり加筆修正していますが。)

 

百聞は一見に如かずだが

東北で実際にボランティア活動をしたり視察をしたりした方々は、直に現場を見て被災者の叫びを聞き、それを私たちに伝えてくれました。彼らのレポートを聞いて支援の輪が広がりました。
当館でも、現場に行った方々を通じて東北の方々と繋がることができ、微力ながら幾つかの支援に携わることができました。その繋がりのお陰もあって、スタッフが翌年東北に行くこともできました(トップの写真はそのとき撮影したもの)。
現場に行った方々を通じて、被災地とは遠く離れた場所に住む私たちの行動が確かに変わったのです。本当に重要な役割を担ってくれていました。(今も担ってくれています。)

当時の彼ら(現地訪問組)の震災レポートは十分衝撃的でしたが、彼らは「レポートを聞いただけの私たちが感じた衝撃」は彼らが「現地で肌で感じた衝撃」に遠く及ばないと考えているようでした。
「実際は想像を遥かに超えていた」
「現場に行かないとわからない」
「こんなモンじゃあないんだよ。頼む、見に行ってくれ」
「東北のみんなを助けたいんだ」
彼らは彼らの立場で必死に訴えていました。

実際に現場に行って見聞きする前と後では、確かに「見え方」は別物でしょう。その経験により、現地訪問組はさらなる人間的成熟を果たすとともに、社会に貢献できる具体的な技術をも獲得できたとも思います。

かと言ってさ、誰でも彼でも行けねえじゃないですか。
行きたくても行けない状況で、震災の現地レポートや報道を毎日のように浴びれば、そりゃ苦しいよ。少なくとも私は苦しかった。

この目で「実際に見る」といいのはわかる。わかるよ。でもね、「行く」と失うものもあると思うんです。

 

震災を風化させない鍵は君たちだ

東北に行って<しまう>と、あの何とも言えない「焦り」や「劣等感」はきっと失われます。少なくとも目減りする。
当時、私と学生でよく話していたことがあります。

「東北に行けた人は、同時代人に震災の真実を共有することで、アレが<他人事じゃない>と伝えてくれた。じゃあ行けなかった僕らの役割って何。じつは僕らは、震災を風化させないためのキーパーソンなんじゃないか?」

「被災者の心に刻まれた地震の爪痕は消えないかもしれない、でも数年後に瓦礫は消える、街の見た目はキレイになる。だから、あの日よりあとに生まれた子どもたちは、震災を実感できないかもしれない。年月が経てば経つほど直接知らない人が増える。やがて知らない人だけになる。いつか震災は誰にとっても他人事になるかもしれない。
 そのとき<知らない人>にいちばん身近なのは、3.11の爪痕が残る東北に行くことができなかった人=僕たちじゃないだろうか」

「震災を『直接知らない』者同士だからこそ、似た境遇の者同士だからこそ、伝わることがあるはず。あえて言うが、あのとき東北に行った方にはできない支援が僕らにはできる…と思う」

私も学生たちと同じ焦りや焦燥感を抱えていました。東北に行けない(行かない)自分を恥じていました。だからこれは、自分たちに言い訳をするために口をついて出た言い訳です。拙い言い訳です。しかし、結果として今も同じ思いでいます。

 

焦燥感と劣等感が<力>になる

現地に行けないだけでなく、義援金もほとんど出せないと悶々としている学生も多くいました。
でも彼らと実習の中で話し合ったとき、支援は「今できる支援」だけではない、今は直接何もできないけど「未来のために種を蒔く支援」もあるよね、という結論で一致を見ました。こんな感じ↓

震災で痛感したことは、私たちにはいつ自然災害が降り掛かっても不思議ではないということだ。
私たちの周りにはたくさんの子どもがいる。その彼らもいつ自然災害や災厄に遭うかわからない。
だったら、いつか未曾有の大災害がこの子たちの身に(嫌だけど)降り掛かったとき、彼らが絶望しないように何かできないか。たとえ一旦挫けても、再び前を向いて立ち上がることができる…そういう強くて靭(しな)やかな心を育む手助けはできないか。
何があれば人は強靭になれるのか。情報?知識?思考力?想像力?体力?自己肯定感?…あとなんだろうか。で、そうした力や感情を養うためには、子どもと接するときに私たちはどんな態度であるべきかしら。
そうだ、まずは元気に挨拶をしよう…!!

学生たちは最後に言いました。
「目の前のことに真摯に取り組むことが、震災支援になりうるし未来を支えもする。まずは毎日笑顔で、小さなことでも真剣に取り組もう」
おお。当たり前。
でもね。いきなり大袈裟でなくともいい。できることから始めるからこそ人は挫けにくいし、結果として具体的支援策や防災対策につなげられると思うのです。

 

報道の量や巷で話題にのぼる頻度を思うと、残念ながら「3.11」の記憶は少し薄まっているのかもしれない。それは歴史の必然です。でもそれを是とするわけにはいかない。

ちなみにその後、私は東北に行ってしまいました。
もう私は君たちと同じ支援はできなくなったよ。残念ですが私はあの頃と異なる道を進まざるをえない。君は君の道を臆せずに堂々と進んでいただきたい。

あのとき当時の支援者の後塵を拝したと臍(ほぞ)を噛んだ学生たちは、今、震災支援の最前線に立とうとしています。健闘を祈る。


かんだむつみ

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