今日で東日本大震災から10年が経とうとしています。
10年前の今日も私は当館で仕事をしていました。翌12日は九州新幹線が全線開通する日で、確か休暇を取って鹿児島まで行く予定にしており、鉄道ファンの端くれとして翌日を楽しみにしつつ勤務していました。昼過ぎに東北で大きめ地震があったことは誰かから聞きましたが、業務上は関連がなかったため通常どおり働いていました。夕方近くになって、12日に行う予定だった式典にお越しくださる予定の方から「地震の影響で福岡に戻れない」と連絡があり、そんな大事なのかと皆でテレビをつけたら…絶句。のちに「東日本大震災」と呼ばれるその地震がもたらした「もの」をただ映し続けるテレビの前で、私達は立ち尽くすだけでした。
あれからもう10年か。
元気のもりでは折に触れて「震災」に触れてきました。イベントで取り上げたり、ブログで書いたり。あのころ、子育て支援とは何かと内外の方とたくさん話し合い、それが現在の取り組みの指針のひとつになっています。
しかしそのイベントを担った職員は入れ替わり(トップのモザイクの方も元職員。顔出ししても許してくれそうな方ですが)ホームページやブログもリニューアルで過去データは消えました。今は意識的に話題にしないとどうしても「風化」しがちです。なので前回あんなブログを書きました。長過ぎましたけどね。
今回は短めにします(もう長いけど)。一遍の詩を紹介するだけです。
詩の題名は「ありがとう」。
作者は気仙沼市に住んでいた菊田心(しん)さん、当時11歳でした。
河北新報社(公式サイトこちら)が、東日本大震災後(2011年5月~7月)に多くの支援やあたたかいメッセージをいただいた方々への感謝の気持ちを詩に託した「ありがとうの詩」を募集しました。合計460作品もの応募があったそうです。その後書籍にもなりました。そのなかの最優秀作品5選のうちのひとつです。
著作権のことがわかりませんので下記にリンクを貼ります。
どうぞ時間があるときにご覧ください。お時間のあるときに。

上の記事を書いた和合亮一さんは詩人です。当時この企画の先行者のおひとりです。
和合氏は自らも東日本大震災で被災し、被災6日目からTwitterで詩を発信し続けて話題となりました。被災の現場から発せられ「詩の礫」と名付けられたその一連のTweetを当時私も読んでいたっけ。
言葉に真摯でありたい。
震災は、辛い。
かんだむつみ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
言葉には真摯に向き合いたいと思っています。本当です。その元気のもりの公式SNSのアカウントはこちら。フォロミー。表現がくだけているからといって不真面目とは限らないと考えております。でもどうぞごご海容くださいね。